名勝負を文章で楽しもう!(軽〜中量級編)
こちらは、過去の名勝負を海外記事の文章からより深く知り、楽しむためのページです。
店主の翻訳による、厳選した内容をお楽しみください。
■マニー・パッキャオvsファン・マヌエル・マルケス第4戦
2012年12月 マルケスの6ラウンドKO勝ち
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パッキャオvsマルケスが第4戦が最初に公に告げられたとき、ボクシング界の反応は割れた。「またか、もういいよ」とため息をつく者もいれば、他方で、これまでのすばらしいがしかし論議の的となってきた一連の戦いに結末を与える機会だとみる者もいた。それぞれの戦いは似たような筋書きだった。お互いの攻撃があり、採点するのが難しいラウンドが続き、パッキャオによる力強い急襲、マルケスによる長い距離での見事なボクシングが展開された。結果は引き分けと<パックマン>(パッキャオのニックネーム)への僅差の判定勝利となった。しかし、多くの人の目にはマルケスが勝利していたとみられる試合もあった。
39歳のマルケスは、セルゲイ・フェドチェンコに12ラウンド戦って勝利をおさめてからほぼ8ヶ月経ってから試合に臨んだ。一方、パッキャオはティモシー・ブラッドリーに対し、論理を無視したかのような判定の犠牲になり敗北していた。大きな問題は、将来ボクシングの殿堂入りを果たすであろう二人がもう一度試合を戦う状況へと浮上できるか、ということだった。そして、ついに出た答えははっきりとした「イエス」だった。
オッズは当初6−1でパッキャオ有利であったが、のちに津波のようにマルケスへと押し寄せた賭け金によって差が9−5へと縮められた。年齢を重ねた衰えを心配する声は、1ラウンドにかき消された。パッキャオは、何年もみられなかった動きのよさと頭の振りを披露し、マルケスはいつものかみそりのように鋭い技術をみせつけた。最初の7分半は、これまでの試合と同じようなやりとりが行われたようにみえた。長い距離から、どちらが支配するでもない素早いパンチの交換が行われていた。しかし、その中でもパッキャオがかすかな手応えをつかんでいた。
しかしながら、3ラウンドの残り1分19秒で、過去の3試合と1/4が描いてきた軌道は永遠に変わることとなった。パッキャオを捉えた弧を描くような右がパッキャオをよろめかせ、さらには床へと倒れさせるに十分なパワーを持っていた。パッキャオに対し、マルケスがこれまで39ラウンド戦った中で初めて与えたダウンであった。マルケスのファンは常に彼の強さを信じてきていたが、その信頼が現実へと変わるのをみることは全く異質なものであった。マルケスがパッキャオを追った時、彼らは応援を歌にして表した。
残り時間に流れをつくることによって、パッキャオは4ラウンドへの端緒をつかみ、5ラウンド66秒で左のクロスが閃光のようにダウンを奪った。続けての右フックでマルケスはよろめき、鼻から血が噴き出した。マルケスはクリンチを拒否し、その代わり攻撃することを選びラウンドが終わるまでうまく戦った。しかしそうする中で、マルケスの一発パンチ、すなわち入ってくるパッキャオをかすった鋭い右クロスが回顧するにふさわしいものだと証明したのであった。マルケスは、並外れて知的なボクシングセンスによって、それがのちによい武器となるであろうことをわかっていた。彼はなんて正しかったのだろうか。
顔から血がしたたりながらも、マルケスは6ラウンドにもがき続けた。このメキシカンが勇敢に戦っていたにも関わらず、その反応と採点はジャッジ3人とも47−46と彼に相対するものとなっていた。大きな左クロスが残り66秒でマルケスをぐらつかせたが、またしてもマルケスはピンチから抜け出す戦いをする。
ラウンドが終わりに近づいたとき、またもや大きなパンチでマルケスはロープへと後退させられた。そして両選手が向き合った時、マルケスは立ち往生しかかっていたが、その一方でパッキャオはさらなるパンチを浴びせる用意をしていた。何も気づかないハエを待ち受けるクモのように、マルケスは標的を見極め、次の動きを見定め、完璧な瞬間に罠を広げた。パッキャオが踏み込むところに、マルケスは実に見事なタイミングで右パンチをあごへと炸裂させた。パッキャオは、危険とさえ思われるスピードで顔から前のめりに倒れた。レフェリーのベイレスは、カウントをとることが適切ではないとわかっており、すぐに医療職員がパッキャオを取り囲んだ。パッキャオが意識を取り戻したようにみえるまでにはそれほど時間はかからなかったが、最終結果は永遠に記録に残るものとなったであろう。
2013年2月6日、Lee Groves筆(web上のアメリカ、リングマガジンの記事より)
■イスラエル・バスケスvsラファエル・マルケス第1〜3戦
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■第1戦(2007年 マルケスの7ラウンドKO勝ち)
もし、これまでに2人の選手が完璧にかみあったことがあったとしたら、それはマルケスとバスケスであろう。両者ともメキシカンボクシングにおける科学的な側面の伝道者であり、タイトル戦においては無敗で、最盛期の力を誇っていた。こちらは、どれほど試合が拮抗すると予想されたかを示すものであるが、ショウタイムの解説者であるアル・バーンスタインは、彼の26年にわたる放送界でのキャリアの中で初めて、両者の勝利への鍵を全く同じものとみなした。すなわち、だらだらとしたジャブはいらない、ボディを打って、フックを当てることだ、と。
言うまでもなく、彼らはバーンスタインの忠告に従う戦いをした。
最初のゴングから最後まで、この試合は大変に強烈な戦いの模範となるボクシングで、両者が無数のすばやい爆弾パンチを炸裂させたのであった。彼らのパンチはキレがあり、完璧にヒットし、完全なる有効性を保持していた。マルケスはアッパーのパンチで1ラウンドにバスケスの鼻を折り、ラウンドの終了間際に右でバスケスの膝を折らせ、2ラウンドにはさらにそのパンチをあびせた。その間ずっと、バスケスはピンポイントのジャブを当て、こつこつと両方のパンチでボディを攻めた。
3ラウンドには、2ラウンドにはみられなかった2つの大きな転換がみられた。6連打のパンチでよろめいたバスケスは後退させられたが、その直後、バスケスは非常にすばらしい左のショートアッパーを狙いを定めて打ち抜き、マルケスにキャリア史上初めてのダウンを与えたのだった。ラウンドの半分近くの時間が残っていたにもかかわらず、バスケスは攻勢を強めなかった。マルケスがまだ危険であるとわかっていたからである。
マルケスは、4ラウンドには訓練されたジャブからシャープなコンビネーションを繰り出すことで、強靭な回復をみせた。5ラウンドには戦いはより熱を帯び、バスケスは重いボディブローを打ち込み、マルケスはすさまじい顔へのパンチで応戦した。一連のショットガンのような鼻へのジャブは、バスケスをラウンドの終わりに後退させ、それは試合の終わりへと続く、決定的なひとつの区切りを示すこととなった。
バスケスは6ラウンドには、より切迫した戦いを展開したが、しかし、マルケスはその挑戦に対し対等以上であったため、バスケスはダメージを与えることができなかった。強靭なバスケスは、7ラウンドのはじめにフックをあごにあて、マルケスをよろめかせかけたが、まだラウンドの時間が残っていることを思い出させるかのようにマルケスは彼のライバルを切り裂き続けた。
歴史となるよう形作られつつあった試合は、7ラウンドと8ラウンドの間に突然終わりを迎える。バスケスが彼のチーフトレーナーであるフレディ・ローチに続行できないと告げたのである。バスケスは試合の後に、2ラウンドあたりから鼻にけがをしており、7ラウンドの終わりには流血で完全に鼻がふさがれてしまったということを明らかにした。このクライマックスを迎えなかったような終わり方が、マルケスvsバスケス第1戦は上位にランクされなかった理由であるが、その落胆を埋め合わせる以上の試合を何ヵ月後かに彼らは戦うことになる。
■第2戦(2007年 バスケスの6ラウンドKO勝ち)
バスケスとマルケスが再び顔を合わせたのは、第1戦からちょうど5ヶ月後のことであった。ホーム・デポ・センターで彼らが行った戦いを超えることはできないまでも、同じものがみられるという期待を抱かせて。
任務は果たされた。やはり、ひとたびほとぼりがさめてからであっても、バスケスvsマルケス第2戦はリングマガジン・ファイト・オブ・ザ・イヤーとみなされた。
2人の選手は、技術的な接近戦という第1戦で途切れてしまったところから試合を始めた。バスケスの手術で治療された鼻についての具合を心配するどんな声にも、即座に答えが返ってきた。バスケスが出だしに浴びたパンチに対し、笑顔でうなずいたのである。そして、お返しとしてマルケスにフックを浴びせ、後ろへとよろめかせた。試合の流れは2ラウンドにより激しくなっていき、両者は第1戦よりもより至近距離の打ち合いに終始した。より短く、よりコンパクトなパンチを好むバスケスがもたらした発展である。バスケスのもうひとつの進歩は、インサイドに向かって当てるジャブの技術であり、状況によってはそこから硬いフックを打ち込んだ。その打ち合いによる刑罰のようなダメージは、すでに両者に痕跡を残していた。マルケスは両方の目の周りがはれ、バスケスは鼻の頭を小さくカットしていた。
3ラウンドはじめにバスケスが打ったフックは、マルケスのウィービングするボディに電気のようなショックを与えたが、ディフェンディング・チャンピオンであるマルケスは十分に回復し、そのあとに自分の強烈なフックを当てるまでになった。途切れることのない打ち合いはラウンドを通じて続き、彼らの顔面組織は圧力に耐えることができなかった。マルケスはバスケスの両目の周りに傷をつくり、バスケスはマルケスの目の下をカットさせた。すさまじい内容をみせてもらえたがために、その3ラウンド目がリング・マガジン・ラウンド・オブ・ザ・イヤーにのちに選出されたことにはなんの驚きもない。
4ラウンドにも残忍なまでのパンチの交換は続いたが、後半にマルケスが攻めて波をつくったことによってラウンドをもぎとることができた。復讐に燃えたバスケスは、5ラウンドに自分の強さをみせつけたが、目の周りの傷は明らかに悪化しており、特に左目は今やカットして溝のようになっていた。
ボディへの強烈なフック、あごの先端への右アッパー、決め手のあごへのフックで、マルケスは6ラウンドのはじめにダウンした。マルケスが2カウントで立ち上がったあと、バスケスは試合を終わらせる時がきたと決心し、相手をひるませるような、ノンストップの急襲を行った。マルケスの退却した体がそれまでになく硬直し、顔から生気がなくなっていったとき、レフェリーのホセ・グアダラペ・ガルシアが選手の間に跳んで入り、試合をストップした。
ガルシアが第2戦をストップして何分もたたないうちに、多くの口から出た質問は「トリロジー(第3戦)はあるか?」うれしいことに、答えはイエスだった。
■第3戦(2008年 バスケスの判定勝ち)
第3戦目は、しばしば<打っては離れる>計画を立てるものだが、なぜかというとそれぞれの戦士はお互いをとてもよく知っているからである。しかし、ボウ対ホリフィールド、ガッティ対ウォード、ハーディング対アンドリース、バレラ対モラレスの間で戦われた試合のように、バスケス対マルケス第3戦は、たとえ先立つ2試合ほどではないとしても、どの瞬間においてもエキサイティングなものだった。ちょうど第2戦が2007年のリング誌のファイト・オブ・ザ・イヤーとラウンド・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞したように、バスケスとマルケスの3回目の戦いは2008年のそれと同じ2つの栄誉を与えられた。
最初の試合の場面に戻り、両選手はほぼ1年前に起こったことを魔法のように再現させた。マルケスが長い距離を巧みに操る一方、バスケスはパンチをみる力を炸裂させ、相手のパンチを拭い去ることに成功した。左のショート・フック、それはマルケスの前の2試合における天敵であるが、そのパンチで挑戦者であるマルケスは1,2ラウンドで膝をおとすこととなり、一方、3ラウンドには至近距離の打ち合いでお返しとなるといえる攻撃をした。
4ラウンドはラウンド・オブ・ザ・イヤーとなる宿命だったのだろう。バスケスが前半を正確なジャブとねじ込むようなボディブローで優位に立つ一方、マルケスのパンチはけがで悪名高いバスケスの左目の周りを赤くした。ラウンドの最後にバスケスを倒れさせたフックと、それに続くあごへの右パンチは、この3連戦の中ではじめて<エル・マグニフィコ>(マルケスのニックネーム。「すさまじいやつ」という意味)を彩った。マルケスがフィニッシュのために距離をつめたとき、バスケスの強烈なオーバーハンドの右によってあわやマルケスはダウンするところだった。ゴングが鳴ってから、バスケスは左目にさらなる深刻な傷を抱えて自分のコーナーに戻っていった。
バスケスは右目を5ラウンドにカットした。マルケスのジャブによって6ラウンドには左目の上が腫れ上がった。しかし、バスケスは技術的なすばらしさをみせるマルケスに向かって前に突進し続けた。そして7ラウンドあたりには、自分の次の風をつくりつつあった。
中盤以降を通じてずっと試合が激しく、体力を使うものであったにも関わらず、バスケスは自分のパンチをより力を込めて打つことで小さな利益を守ろうとしているようにみえた。なぜならマルケスのジャブが減っていたため、バスケスはより頻繁に中に入っていくことができ、ボディにいくらでもパンチを打ち込むことができたからである。マルケスのボディブローはしばしばベルトラインより下にあたり、10ラウンドにはレフェリーのパート・ラッセルが、少なくとも4回は警告を与えたあとのことだが、マルケスに減点を科した。後から考えてみると、この減点は致命的なものであった。
試合が競っていることを予感させながら、両選手は最終ラウンドにより激しい攻勢に出た。特にバスケスは激しく死に物狂いに戦い、マルケスの腫れた左目に強打を放ち、相手を砕けさせるような右のパンチを当て、マルケスはクリンチをせざるをえなくなった。残り10秒たらずのところで、バスケスは5連打のパンチを爆発させた。マルケスはよろめいて後退し、一番上のロープに腕がたれるような状態になった。ラッセルは「ロープがなければ倒れていた」としてノックダウンを宣言し、義務的な8カウントを数えたが、本質的には、これで試合を終わらせることとなった。
ダウンの宣告と減点によって、マルケスのポイント上の運命が決定づけられた。マックス・デルーカとトム・カズマレクの採点は114−111で両選手に分かれたが、ドクター・ジェームズ・ジェンキンズは113−112で勝者に向いた採点であった。すなわち、チャンピオン防衛、バスケスの勝利に。
2012年11月5日、Lee Groves筆(web上のアメリカ、リングマガジンの記事より)